まだオレンジレンジ
案の定、頭の中はオレンジレンジの「花」。
ミヤザキさんにも「イシダさんオレンジレンジなんてめずらしじゃん」とか言われたりして。はなうたもオレンジレンジだったんだぁ...くぅ。早く上書きせねば。
日本語の歌はムズカシイ。
歌って、歌詞やメロディーやリズムやで構成されているとシロウトなワタシは思う。メロディーやリズムは、意味がわかるとかわからないとかそういうヤヤコシイ事柄が入りにくいので、聴いていてもなんていうか厭味が少ない。
だけど、歌詞はムズカシイ。
バスケ部風な女子高生のおかげで頭の中をぐるぐるしているオレンジレンジの「花」という曲は、美しく咲き誇る時間が短くそして、同時に再生というキーワードを体現している「花」という時期を、レンアイ(恋愛ではない)とオーバーラップさせている歌だった。それはともすれば永遠のテーマであり、つまりは極ありふれた詩なのだけれど。
ありふれていようがなんだろうがとにかく。
日本語の歌詞はワタシに、その一歩奥の何かを考える事を強要する。
ただなんとなく、楽なキモチでメロディーを中心に「音楽」を聴こうと思ったとき、日本語の歌はワタシから、その気軽さを奪う。
音楽を聴こうと思ったとき、ワタシの心構え以上に歌詞がワタシのココロを奪うとしたら、それはもう「なんとなく聴いてる」という感覚を許してくれなくなる。
だったら。
メロディーやリズムがない分だけ、詩を読む方が良い?
うぅん。
メロディーやリズムがない分だけ、詩の方が緊張を強いる。
だって、ドレミもないんだよ?太鼓がドカドカならないんだよ?そしたら、文字と文字との間にある「息継ぎの瞬間」までも、読みながら感じなくちイケナイんだよ。
そのうち、こういうヤヤコシイコトを考えるのをやめよう。
そのうち、いつか。