大晦日
だし巻き卵の卵液を溶きながら、ハタと気が付いたの。
ワタシは特別、日々を1年で区切っていないんだ、というコトに。
いろいろな季節行事を大胆に割愛するワタシには、お正月を新たな気持ちで迎えるという心意気のようなものが、少々欠けているのかもしれない。
いつだって、明日は今日の続きだと感じる。
それは、気持ちを切り替えるチャンスを逃している事になるかもしれないけれど、そう感じるのだから仕方がない。あるいは意識的に、お正月を特別扱いしないようにしているのかもしれない。
地方から上京してきたお友達が冬休みに「田舎に帰るんだ」と話している姿を、いつも、うらやましく思っていた。うらやましいナと声に出して言えるようになるまで、何年もかかった。
チャレンジすればいくらでも、ワタシにだってワタシなりの「お正月」を迎えるチャンスがあったのに、その機会を放棄していたら、いつのまにか、うらやましいと声に出せなくなっていた。
それは例えば、リビングの窓に畑が広がる実家の立地が魅力的だということではなくて、年末年始を過ごすために「帰る場所」があり、そこに「迎えてくれる人」がいる、というコト。
ワタシには、そういう場所を確保する努力が欠けていた。迎えてもらえる人になるための努力が欠けていた。気が付くのが少し遅かったのかしら。それとも、遅すぎるという事はないのかしら。
お銚子が空になった。もうおかわりしないぞ。
規定量をオーバーすることなく、年越しそばを食べるぞ。

