私は「当たり前の味」を覚えている。
ワタシと同じように納豆にお砂糖を入れていたシンドウさん(新しいお友達)からのメールに、トマトの事が書いてあった。トマトもお砂糖で食べていたと書いてあった。
トマトをお砂糖で食べていたことを思い出した。
夏の青い空、大きな白い雲、まだ小さい私、黄色いサンドレスを着たお母さん、真っ赤なトマト、銀色のスプーン、そして、白いお砂糖。
麦茶にもお砂糖を入れていたことを思い出した。
台所、冷蔵庫の前、その横の机、あまり大きくないグラス、冷えた麦茶、お砂糖を入れる右手。スプーンでかき回すと、溶け残ったお砂糖が円を描きながらグラスの底に沈んだ。
鮮やかに蘇る記憶。
一人ご飯の今夜、オトナになったワタシは、妙に盛り上がるキモチを抑えつつラジオを聞きながら夕飯の支度をする。トマトをお皿に並べ、納豆を容器から移し、ご飯が炊けるのを待って、グラスに麦茶を注ぐ。
食卓にはお砂糖。
甘い納豆、甘いトマト、甘い麦茶。
美味しいとか美味しくないとかそういう事ではなく、久しぶりとか懐かしいとかそういう事でもなければ、好きとか嫌いとかそういう事でもない。それは、なにひとつとして特別ではない、当たり前の味がした。
私は「当たり前の味」を覚えていた。
私は「当たり前の味」を覚えている。