2009/06/01
もう少しで言葉になりそうで、なかなか言葉にならない。
初めての糸紡ぎは、ワタシに、とても強烈な「頭の中でグルグル」のきっかけを作った。それはもう少しで言葉になりそうで、なかなか言葉にならない。
気が遠くなるような昔から、ヒトの手は2本、指は5本だった。ワタシの両手と、たいした違いなどなかったはずだ。
糸を紡ぐ機械を発明した人は、なんて賢いんだろう。必要なことは、手仕事に執着することではなく、生活に必要な衣服をまかなう事だったのではないだろうか。
スイッチを2回押して洗剤を入れると、洗濯が終わる。もっと発達している人は、干して乾かさなくても良いらしい。
必要にせまられて糸を手で紡いでいたであろう昔の人、機械が紡いだ糸を使って完全なる「余暇」としてセーターを編むワタシ。
果てしなく不格好になった手紡ぎ糸をながめながら、道具と材料を買ってまでわざわざ手間隙かかるコトをする理由を探す。好きだからなんて、理由を説明する言葉としては弱すぎる。
靴下を編むのが好きだ。いつかおばあちゃんになって編み物ができなくなるまで、お手製の靴下しか履かない。材料費と制作時間を捻出するべく、いつまでも元気に働かなくちゃ。主に金銭面で、買うよりもずっとずっと贅沢なんだもの。
子どもの頃、お母さんはサンドレスを縫ってくれた。ワタシたちは、お揃いのサンドレスを着ていた。同じ柄のサンドレス。誰がどこから見ても、ワタシたちは親子だったに違いない。
モノを作ることを趣味とする人の多くは、同じような気持ちを抱くものではないかと思います。私もそのうちの一人です。私は編み物以外にも木工や電子工作などをしますが、決して樹木を育てる事はないであろうし、電子パーツ自体を作る事は無いでしょう。実際、5円、10円で売っているコンデンサ、トランジスタさえ、自作するのは困難なのです。
昔の人は大変だったと思います。しかし、その時々の人はその時なりの工夫をしたのであって、全てが一時に行われた訳ではありません。そして、我々もその連なりの中にいるのです。ほぼ完成されてしまったと思われる紡績の技術は確かに我々から紡ぎの機会を失わせてしまったかも知れません。しかし、こうして綿々と続いてきた先人達の文化を受け継いでいくことこそが、もの作りを趣味に選んだ人の役割なのだと思います。
私は手作りのものが好きです。そして、それを創り出す道具、工具が好きです。そこには歴史を越えてきた文化を技術、そして想いが込められています。
お母様の縫ってくれたサンドレスを見るとき、イシダユウコさんの心中に去来するものは何なのでしょう。言葉にならなくても、それに想いを馳せるだけで十分だと思います。
at 2009/06/2 19:21 by たろう
間違えた。
綿々(誤)→連綿(正)
at 2009/06/2 20:00 by たろう
街で編み物をしていると知らない人に声をかけられる事があるのですが、とても頻繁に「手作りして偉いわね」と言われます。
そこには「最近の人は手作りをせず買って済ませるからダメ」というニュアンスが含まれていて(はっきり言う人も少なくない)、そのたびに、なんかちょっと違うんだよなぁと、やや複雑な心境に。
どうして「やや複雑」なのか、ずーっと考えています。
at 2009/06/3 18:47 by イシダユウコ