2005/11/18
利発でよく気がつくとの誉れ高き小学校低学年だった優子ちゃん(お父さん、そうだよね?ね?)の「将来の夢」は、学校の先生になることでした。
将来の夢はと問われ「看護婦さん」と即答する少女の発言が、看護という職業の尊さや苦労を理解した上でのそれであるはずはなく、同様に、当時の優子ちゃんだって、教員が味わっているであろう喜びや徒労などを踏まえていたわけでは、決してありません。
青少年が本格的に進路について悩むのは、やっぱり高校生の頃なのでしょうか。卒業後の進路について考えていた当時のあなたは、その胸に何を抱いていましたか?
近い将来のリアルな自分の姿でしたか?
とりあえず、というセリフですか?
高校卒業は単なる通過点?
胸を焦がす程の希望や夢でしたか?
そういえば最近聞かないモラトリアムという言葉でしたか?
それとも、ワタシの想像できないようなコトでしたか?
2005/11/17
このテーマについて考えるときの、ナカムラ的事前準備。
胸を張って世界でイチバン大切な!あの人の瞳を見つめながら「好きなことはコレ」と宣言できるか、こっそり自問自答する。
(結果は問わない。自問自答する事そのものが重要)
それが現状打破の手段になっていないかも、あわせて再確認。
(手段になってしまっている場合は、深呼吸15回、かつ、1回お休み)
ちびっ子を抱えている人のみ、「好きなこと」を職業にした場合、一日3度の食事と彼らの就学が実現可能かどうか、生涯最高最大MAXの真剣さで考える。
(ここでNGの人はちびっ子が二十歳になるまでお休みする。それが子どもを育てる大人の責任だから)
目指す到達地点に辿りつけなかったとき、自分で自分のことを、許したり励ましたりする修行をしておく。
(人間は基本的に弱い生き物で、自分を守るのは結局自分しかいなくて、そして、むやみに人生を放棄してはイケナイ…という発想から)
どうしても「忘れられない」何かをココロに抱く。歌でも小説の一部でも暗唱した詩でも、あの人の左手でも彼女の眼差しでも。くだらない学生時代のエピソードでも一度だけ食べたご馳走でも旅先でのひとコマでも。人工的な香りでも安っぽいブルーの光源でも何も見えなかった夜でも。恐怖でも精神的または肉体的な苦痛でも。なんだって良い。
(何であれ「それ」があればきっと大丈夫)
書きたいけどまとまらない…と身もだえする日々を送っていたのですが、そうよ、別にまとまらなくたって良いのよ?というコトに気がつきました。
上手に短くまとめたいだなんて、ワタシにはムリよね。
溢れるコトバをそのたびに文字にすりゃあ良いんぢゃない?
でもなぁ。アーカイブからまとめて拾えないなぁ。
ん?ちょっと待て。
blogにはカテゴリってモノがあるぢゃあないの!
…と、言うワケで[好きなことを職業にする]カテゴリを作り、溢れるままにダラダラと、頭の中で今!まさに!!グルグルしているコトバを「分割して書く」という手法にチャレンジ。分割するコトで、ココロの揺れが見えてくるのではないかしらと、淡い期待。
(果たしてそんな文章力があるのか?と言わないで)